
2010年12月10日 (金) | 編集 |
田舎の兄から こんな立派な書籍が届きました
「宇和島・北宇和・南宇和の今昔」と題して
昭和20年から現代までの変遷をまとめた写真集です
A4の大きさで222ページあります

宇和島城は
”伊達十万石の城下町”と呼ばれ、
江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市は、
日本屈指のリアス式海岸地帯にあります。
城はその最深部、現市街地のほぼ中央にあり、慶長元~6年(1596~1601)
の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていました。
石垣や天守、矢倉は、
元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されていきますが、
基本的な城構えは高虎時代のものを引き継いでいます。
郷土史料より
私も登ったことがあります
みかんと言えば愛媛の南予みかんですね
甘くて美味しいですよ!
宇和海の真珠もよく知られていますね
和霊神社に牛鬼まつり
懐かしい写真がいっぱいです

この本の中に二十歳前の私が載っていました びっくりです
昭和30年当時の故郷は まだ合併前で村でした
その頃の私は「青年団」に入っていて農協所有の田を借りてお米を共同で作ったり
村の色んな行事には参加して手伝っていましたね 今は青年団と言うものはないそうです
その時代の記念写真です
懐かしく思い出しました(^0^ゞ 遠い昔になりました~(笑)

今夜の月
上弦の月が微笑んでいる様に見えました~(^0^ゞ

今日もお立ち寄り頂きありがとうございました
「宇和島・北宇和・南宇和の今昔」と題して
昭和20年から現代までの変遷をまとめた写真集です
A4の大きさで222ページあります

宇和島城は
”伊達十万石の城下町”と呼ばれ、
江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市は、
日本屈指のリアス式海岸地帯にあります。
城はその最深部、現市街地のほぼ中央にあり、慶長元~6年(1596~1601)
の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていました。
石垣や天守、矢倉は、
元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されていきますが、
基本的な城構えは高虎時代のものを引き継いでいます。
郷土史料より
私も登ったことがあります
みかんと言えば愛媛の南予みかんですね
甘くて美味しいですよ!

宇和海の真珠もよく知られていますね

懐かしい写真がいっぱいです

この本の中に二十歳前の私が載っていました びっくりです

昭和30年当時の故郷は まだ合併前で村でした
その頃の私は「青年団」に入っていて農協所有の田を借りてお米を共同で作ったり
村の色んな行事には参加して手伝っていましたね 今は青年団と言うものはないそうです
その時代の記念写真です


今夜の月
上弦の月が微笑んでいる様に見えました~(^0^ゞ

今日もお立ち寄り頂きありがとうございました
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